環境コンプレックス


本年の4月から5回にわたりcivil engineeringとしての土木に関する私見を述べてきた。 その基調にある問題意識としては、その主体であるcivilの要求が劇的に変わりつつある昨今において、 土木計画手法においてどのような視点が要求されるようになっているのかということがあった。 即ち、社会資本の整備水準が低い段階にあっては、civilによる要求の内容は単純明解であり、その圧力は高いものがあったため、 基本的な要求性能を満足できる施設整備計画にて十分なる満足を得られることができた。しかるに、時代が下り社会資本の蓄積が徐々にその効果を発揮し出すと、 かように単純明解であった要求は多様化・複雑化を極めるとともに個別問題に対する飢餓感が希薄化してきた。 これは社会基盤整備の成熟化の一つの現れと見なすことができ、その成熟化が進行するに従い、社会資本投資に対する社会効用はますます見えにくくなるものと思われる。 しかし、我が国の社会資本整備について必要かつ十分な水準にまで成熟化しているとの実感を持てないのは、筆者が移動制約者である故の例外的 な印象とは思えない。 かかる意識ギャップの生じる原因を解き明かすヒントとして注目したのが、「ユニバーサル・デザインの原則」の注書きであった; 「ここでは誰もが利用できる設計についてのみ言及しているので、実際の設計においては…略…経済性、工学、文化、ジェンダーや環境関係のような他の事項を組み入れなければならない」。 引用文の各項目は従来の土木計画においても必要に応じて配慮してきた事項であるが、動詞の「組み入れる(incorporate)」と「配慮する」との違いに両者のスタンスの差異を見る。 即ち、前者は異なる尺度を持つ各項目の価値を統合する方向付けが成される複眼的思考法である一方、後者は事業を中心に据え関連事項を制約条件的に扱う単眼的思考法と映じる。 そして、社会基 盤整備が未成熟な段階では単眼的なアプローチは事業効果を迅速に発揮せしめる上で有効な手段であるのに対して、 成熟化の進行する社会においては単眼的な価値観はともすれば偏ったperceived realityを描き出す恐れもある。 そこで、複眼的なアプローチの方が計画立案過程において社会ニーズをより的確に捉えるのに有効であると考えから、新たな方策について考えてみた。

異なる分野に関して複眼的かつ統合的な視点で見るために必要な条件として、いずれの分野にも偏らない共通の場を設定する必要性を強く意識した。 社会資本整備はcivilの安全環境、生活活動環境、経済活動環境等人間を中心とする環境整備と考えられ、 また社会資本整備における負の波及効果の重要な項目に自然環境への影響や公害等があることなどに鑑み、我々を取り囲む周辺状況を種々の環境因子が複合的に関わっている状態と考え、 標題にある「環境コンプレックス」という造語を考えた。コンプレックスを構成する環境要素には上に挙げた例ばかりではなく文化、 社会、経済、景観等、人間社会を取り巻く各種環境が考えられるが、具体の事例においては検討対象事業の有する性格により採り上げるべき環境要素の構成は変わることになる。 これまでの事業においてもその実施に先立って、投資規模や経済効果、周辺環境影響や景観設計など、上で列挙された各種要因について真剣な検証が行われてきたことを否定するものではないが、 それらは各要素を複合体としての視点から検証するというよりはむしろ、”事業vs□□”といった二項対立的な関わりでの視点が強かったように考える。 他方、コンプレックスとしての見方では、各環境要素間を個別の対立軸で捉えると言うよりはむしろトレード・オフ関係として見ることになる。 これにより意志決定過程における各要素間のダイナミズムが高められ、もってより幅広い選択肢を採られる可能性が広がることが利点と考えた。 かかる考え方を試行的に適用した具体の例について、次に紹介する。

前任地である豊平川ダム統合管理事務所に勤務していた折に、定山渓ダム建設ヤード跡地に整備した公園を移動制約者が使い易い環境に改造するようにとの要望を市民から受けた。 当該公園は急峻な谷間に、細かに区切られた標高の異なるいくつかの広場で構成されており、移動制約者を受 け入れるのにはふさわしくない地形的条件にあることは自明であった。 しかし、筆者は当時「障害を持つアメリカ人法(1990年7月成立、Americans with Disabilities Act)」と「ユニバーサル・デザイン」について研究中であったこともあり、 具体の研究フィールドとしてその可能性について検討を行うこととした。その際に、要改造箇所全体のごく一部でしかない駐車場からその直上の広場までの連絡路設計の段階において、 全ての公園利用者に対してどのようなサービス提供を前提として、どのような「環境」を作り上げるのかの検証に多くの時間を費やした。 ただ単なる 土木施設としての環境条件ならば、園路幅員、斜面の最大縦断勾配、最大斜面長、踊り場のインターバルと大きさ、路面素材、手すり等が考えられ、 それらに関しては最近各自治体で作られているまちづくり条例などにより規定されている。 しかし、社会福祉環境もしくはユニバーサル・デザイン 的な観点から利用者の行動様式を考えたとき、次のような命題に基づき提供すべきサービス内容について検証を要した。

・標高差10.5mある2地点を移動制約者の自己決定意識を尊重しつつ移動可能にする環境を作り上げるにはどのような検 討が要件であるか?
・緩勾配の遊歩道を整備したとき、誰もが特別に意識することなくこれに足を向けるような歩道とするためには、いかなる施設的配慮が必要となるか?

土木施設としての観点で整理すると次のようになった。
・勾配と斜路長とがトレード・オフ関係にある中で、利用者の運動能力や安全管理の観点からどのような 勾配が最も望ましいか?
また、両者の境界的命題は次のような事項を考えた。
・ 設計上対象として考慮する移動制約者にはどのような人々があり、施設設計における限界値を与える 移動制約者をどのようなに考えるか?
更に、当該区域は国立公園区域にあるため、ここで選択する施設の素材や色、構造などについて周辺自然環境や景観等に配慮すべきことは当然である。 そこで、各環境要素間に生起する相互関係の一例を示すと、例えば重度の移動制約者が登坂可能な勾配を追求すると園路長が長くなり、 限られた区域内にこれを納めるためには土留めの多用等人工工作物が多くなったり、整備費用がかさむ関係が生ずることから、 これらをいかに折り合わせられるかが環境コンプレックス的な視点から公園施設を組み立てる課題となるのであった。

ここでは標高差のある2区域を結ぶのに斜路の採用を所与のものとして例示したが、実際の計画においてはその他の方法についても候補案として採りあげ、 それらの望ましい組み合わせについても検討を行っている。しかし、これらのコンプレックスを想定するに当たりどのような環境要素がどのように関わり、 施設計画にどのように反映させていくのかについて自問したとき、土木技術者としての筆者の頭の中に参照すべき情報が希薄である事実に気づかされた。 他方、各課題に関して土木という一つの物差しが通用しないのと同様に、医療、福祉、景観、自然環境その他のいずれの物差しも、 単独では各課題に対して有効な解を導き出すことが期待できそうには思われなかった。

本例を通じて計画過程において環境という場の設定についての有効性に関しては手応えを感じた一方で、 その場を成立させる前提条件となる異なる分野間の統合的視点に関しては越え難い壁の存在を実感した。 右課題への取り組みの足がかりとして、緩勾配歩道の構造について車椅子使用者の残された能力と斜路勾配・延長という構図に問題を単純化し、 施設環境問題に関心を持ち大学にて研究職にある理学療法士との異見交換の場を持った。しかし、結果的には車椅子使用者の病種、病歴、障害の程度、個人差、年齢、 性別その他の条件の違いにより登坂能力(瞬発力と持久力)には差が大きすぎるので、一般論としては語れないとに見解にて、 施設環境と利用環境との観点から共通の因子を見いだすには至らなかった。右会見において痛感したことは、理学療法士と筆者との間の辞書の違い並びに、 両者がお互いに専門領域の外に出ることの難しさであった。互いに素性を認 識しあった者による膝詰めの会見であってもコミュニケーションの失敗が起こりうることから、 複数の専門家がそれぞれの辞書を用いてそれぞれの立場から意見を述べるのでは、統合的な成果を得るのに諸々の困難が存在するものと考える。 従って、幅広い分野の専門家の知見を有機的に結合する場を創出し運営するためには、各分野専門家における共通の辞書と各分野をつなぐ関係因子を作りだすことが、 今後に向けての重要な要件となる ものと考える。

近代における科学技術の進展は各分野の専門化と、種々の専門分野における先鋭的な技術革新に負うところが大であったように思われる。 しかし、人口の爆発と各種技術革新による人為の影響の拡大は、代償なしに何ものも得られないと言う現代的社会状況を作り出しているように思われる。 土木技術もその例外ではなく、広く他分野と共通の辞書を作り上げるための場づくりが急がれるように考える。

北海道開発土木研究所月報2000年12月号
「環境コンプレックス」 by石田享平 より転載