60億種類の辞書
ここ数年、辞書をひく機会が圧倒的に増えた。先々月の拙文における「環境」のように、その日本語が外国で造られた概念"environment"に漢語を当てたと思われる場合には、
それが英語であるならば英英辞典をひかないと気が済まないのである。ある時から自らが考え、そして意思伝 達の手段として使う言葉に違和感を感じる機会が多くなり、
自らを定着させるための手続きとしてその必要性を感じ始めたのであった。このことは現実的かつ切実な問題をも惹き起こしており、例えば自分としては誰もが知っている日本語で、
単純な事柄を説明していると信じているにもかかわらず、誰にもその内容を理解してもらえないケースに遭遇することがある。
その原因について色々と思い悩んだ結果ゆき着いた結論は、筆者の内なる辞書と他の人々のそれとの間に微妙なずれが生じているのではないかという推論であった。
そして、右事実を意識させられた言葉の一つに「車椅子」という単語、誰もが何を指しているかを容易に想像できる普通名詞があった。
ご存知の向きもおられようが筆者は中途障害にて40代になってから車椅子に依存する生活を始めた。社会復帰を果たして気づいたことの一つは、
道路に設けられている歩道交差点を車椅子にて通行する際、その勾配や平面形状如何によっては恐怖感と不安感を感じさせられるという事実であった。
そこで、この印象を感じたままに説明し改善方策について提案を試みたのであるが、結局のところ誰かに理解してもらえたとの実感はなかった。
次いで、すり付け斜路において車椅子に作用する力及び車椅子や操作者の挙動に関して、
歩道の縦横断勾配や平面形状との関係においてどのような力の作用により危険が形成されるかという観点から説明を試みた。しかし、反応は前回と何ら変わるところはなかった。
そして最後にたどり着いた理解は、障害者であり土木技術者である筆者と健常な技術者とが日本語と科学的表現により意志疎通を図ろうとしても、
それぞれの内なる辞書の違いが相互理解を阻むのではないかということであった。自らの推論を確認すべく、広辞苑(第四版)にて「車椅子」を巡る言葉をひいてみたところ、
車椅子 : 歩行が不自由な人のために工夫された、車つきの椅子。
椅子 : ①うしろによりかかりのある腰掛け。
腰掛ける : 椅子や台の上に腰をのせて座る。
とあった。辞書を引くまでもなく誰もが分かり切った意味と思われるかもしれないが、実はここにこそ問題の本質があるように感じるのである。 なぜならば健常者ならば「車椅子」に「腰掛ける」ことを自然に行えるのであるが、筆者のような脊髄損傷に伴う車椅子使用者にはそれができないからである。 車椅子の形を思い浮かべて頂きたい。その座面と背もたれ部分の角度が後傾していることに気づくはずである。 車椅子使用者の多くは足でふんばることができず、また腹筋と背筋とに機能不全があるため、 上向きに据えられた背もたれと座面との間に「体をあずる」ことで安定を保つように作られているのである。 「体をあずける」と「腰を掛ける」とはもとより異なる概念であり、その違いが本件に関してどのような意味を持つのかを次に説明する。
車椅子 : 歩行が不自由な人のために工夫された、車つきの椅子。
椅子 : ①うしろによりかかりのある腰掛け。
腰掛ける : 椅子や台の上に腰をのせて座る。
とあった。辞書を引くまでもなく誰もが分かり切った意味と思われるかもしれないが、実はここにこそ問題の本質があるように感じるのである。 なぜならば健常者ならば「車椅子」に「腰掛ける」ことを自然に行えるのであるが、筆者のような脊髄損傷に伴う車椅子使用者にはそれができないからである。 車椅子の形を思い浮かべて頂きたい。その座面と背もたれ部分の角度が後傾していることに気づくはずである。 車椅子使用者の多くは足でふんばることができず、また腹筋と背筋とに機能不全があるため、 上向きに据えられた背もたれと座面との間に「体をあずる」ことで安定を保つように作られているのである。 「体をあずける」と「腰を掛ける」とはもとより異なる概念であり、その違いが本件に関してどのような意味を持つのかを次に説明する。
車椅子で歩道から車道に下りる際には、多くの場合すり付け斜路を下らなければならない。
これまでに整備された歩道斜路の縦断勾配は実に雑多であるため、その勾配の緩急によっては座面の後傾はほとんどなくなり、また前傾する箇所さえある。
車椅子使用者が単独行動にて斜路を下りる際には、速度を落とすため両輪につけられているリムを手で押さえる操作を加える。
しかし、リムで速度制御するとその反力が働き、両腕は前方下方に引っぱられるが、足による反力が期待できず、また腹筋と背筋が十分機能しない者にとっては、
車椅子の前方車道に顔面から引きずり落とされるような力を受けることになる。
他方、「腰掛けられる」健常者であれば無意識のうちに両足でフットレストを強く押すと同時に背筋を緊張させるので、少々の前傾が生じようとも危険を意識することは希である。
従って、車椅子使用者が急勾配の危険性を説明し縁石段差の違和感について述べるとき、座面後傾の喪失を落車への具体的な恐怖として無意識のうちに意識するのに対して、
健常者である土木技術者はその訴えを一般的な違和感としか認識し得ないという差異が生ずることは当然の帰結である。
そして、その差異は温度差などという違いではなく、明らかな認識の差異と言わなければならならないが、更なる不幸はその認識のずれを双方ともに認識しえないことにある。
ここに紹介した事例は異なる背景を有する集団間における意志疎通に関して、いくつかの問題を示唆している。一つの問題は移動制約者と土木技術者との間における認識に係る語彙の違いである。
移動制約者は移動に関わる施設問題に対して鋭敏な認識能力を有しており、彼らより移動能力が高い移動弱者では苦痛に感じつつも顕在化させられない不具合等を認識する能力に優っている。
ただし、その認識形態は恐怖感や違和感といった形態となることは避けられず、
その感覚を誘引する施設の構造的問題や物理的メカニズムなどについて分析的に表現することを期待するには限界がある。
一方、情報の受け手の側がこのような情緒的表現を施設構造的ニーズへと翻訳するためのシステムを持ち合わせていなければ、
結局のところ技術者側の理解は表面的な水準にとどまり、情報伝達は失敗に帰する恐れがある。また、特定の用語における辞書の概念規定の違いの問題がある。
何れの集団においても同一表現が辞書に登載されているとしても、前述の「車椅子」のようにモノを指し示す段階では差異がないにも関わらず、
その機能に関しては本質的に定義が異なっているケースもある。
表面的には両者の意志疎通を阻害する要因はないためその違いは顕在化しにくいが、それ故にその解明にエネルギーを要する課題である。
我々は自らの内なる辞書が適切に機能しない表現に遭遇するとき、外部の辞書にその言葉の意味するところを求め、
それによってなお解読が困難な状況にあっては一定の留保をかけつつも持ち合わせる類似する概念から類推する方法を採用している。
しかし、ここで紹介したような課題にあっては、広辞苑など一般的に入手可能な外部の辞書は多くの人々が使う日常的使用法を説明することを旨としており、
少数集団における用法をカバーしないことから、その効用には限界がある。かかる状況においては個々人の想像力を活用するしかない。
しかし、その想像力も個々人の内なる辞書に支配されることは避けられず、より適切な端緒をそこに見いだせるかが発想の分岐点となる。
例えば、冬季のつるつる歩道において急なスロープを下りる際、へっぴり腰で恐る恐る下りた経験は誰しもが思い浮かべられると思う。
それを感じた人は全てがその瞬間において移動制約者である事実を受け入れることが糸口となる。
本文においてこれまで移動制約者という表現を用い障害者としなかった理由は、時と場合とによって誰しも移動制約者であると考えるからである。
そして現在の都市環境において、それらはいわゆる健常者にとってその場所その時点限りの特異点であり直ぐ忘れられるイベントであるのに対して、
移動制約者にとっては連続的に遭遇するという違いがあるに過ぎない。このような発想が移動制約者の言葉を技術者の内なる辞書に取り込み、
その内なる辞書を用いて発想する一つの原点となるように考える。そして、移動制約者にとって使いやすい公共環境を作られるとき、高齢者、老人、幼児、
荷物を運ぶ人、つるつる路面の歩行者、酔客など、誰にとっても使いやすい街となると想像するのであるが如何であろうか。
話題を歩道問題から公共空間へと一足飛びに拡大させたところで、再び専門用語に起因する課題について言及したい。
これまでこのような課題は相互に影響を及ぼし合ういくつかの分野においてそれぞれ独自の課題として取り組む傾向にあったように感じる。
しかし、現実の公共環境はそれらが相互に協調して機能する構造となっている。
即ち、歩道を含む社会基盤施設、車椅子を含む支援機器、介護を含む社会的支援スキーム、ボランティアを含む地域社会の取り組みなどが相互に関連することで、
より良い環境が経済的に実現できるのである。しかし、これらの専門分野間において共通の辞書開発が遅れており、
そのため相互の機能補完等が機能するまでには至っていない状況にあるように思われる。
地球上にはそれぞれに特色ある60億冊余の内なる辞書がある。自らにとっては当然のことと思えることを疑ってみる謙虚さと、
見えない何かを見るための想像力の喚起こそが次世紀に向けて公共事業に求められているサービスへのヒントになるのではないだろうか。
北海道開発土木研究所月報2000年6月号
「60億種類の辞書」 by石田享平 より転載
「60億種類の辞書」 by石田享平 より転載