ねじれた名刺


西暦2000年1月1日付けで開発土木研究所への配置換えを命ぜられることとなった。 1977年4月に社会人としてのスタートを切ったのが当時の土木試験所であり、この時期に至り振り出しであった職場に戻ることに因縁めいたものを感じる。 しかし、配属される部は二十数年前には第一研究部と呼ばれ、その研究内容が誰にとってもわかり得ない組織名称であったのに対して、 今回はその業務内容についてそれなりに想像できるように環境水工部と改称されていた。 それなりにという表現を用いたのは「環境」という普通名詞が時代のキーワードである一方、「水工」という表現が一般の国民にとってはなじみの薄い表現であり、 その意味するところを具体にイメージすることが困難であると考えたからである。 恐らくは開発土木研究所は窓口業務を持っておらず、外部からのアクセスが業務上関係の深い機関に限られ、 それらの機関の方々であるならばこの表現にて十分に当該部が所掌する分野を想像できるとの考えであったことと考える。

人事異動の内示を受け赴任を前にしてあらかじめ名刺を準備しようとした際、意外なところで戸惑いを覚えた。 組織名は日本語にて定められていることから片面は何ら問題がなかったのであるが、他の片面の英語表記をどのように記すべきかについて悩んだのである。 第一研究部のようにその部の所掌する内容を敢えて表現しないのであれば簡単なのであるが、新組織名のようにその業務内容を外部に向かって表そうとするのであれば、 自ずからそのような表現を用いねばならないと考えたからである。意外であったことはその戸惑いが専門用語 である「水工」にではなく、誰もが日常的に使っている「環境」にあったことである。 即ち、この誰もが知っている環境を、誰もが簡単に 導き出すであろう"environment"という単語に置き換えることに対して違和感を禁じ得なかったのである。 そこで、前任者がどの様な英語名を用いているのかについて照会したところ、"River and Port Division"としているとの返事であった。 日本語面では冒頭にある「環境」が英語面では完全に抜け落ちており、名刺の両面で記されている内容にねじれが生じているように感じた。

先ずキーワードである環境という日本語の由来について調べようと考え、環境行政を所掌する某庁の広報担当部所にこれを尋ねたのであるが、 担当の方からは「当方ではわかりかねます」と即座かつにべもなく門前払いされてしまった。やむなく友人と知人に依頼し情報収集したところ、興味深いいくつかの資料を入手することができた。 それらによると環境という表現について、古くは明代中国において編纂された「元史闕伝」で使用されていることが確認されているが、 当時は現在一般的に用いられている意味とは異なり「四囲のさかい、四囲の境界、さかい」という意味で使われていた由である1)。 一方、環境という言葉が本邦の文献に登場するのは明治三十年代までさかのぼり、その意味は現在用いられている用法と基本的に変わらないとのことである1)2)。 そこで、現在日本語として用いられている環境の意味を確認すべく、広辞苑(第四版)を紐解いたところ次の二つの意味が記載されていた。

① めぐり囲む区域。
② 四囲の外界。周囲の事物。特に人間又は生物をとりまき、それと相互関係を及ぼし合うものとして見た外界。自然環境と社会環境とがある。

現在使われている環境という言葉の用法は明治期に西欧から環境概念が移入された際に、類似する漢語表現である「環境」をもってこれに当てたのではないかと想像する。 これより環境という表現は自然環境はもとより人間・社会環境まで、ある主体を取り巻くものはすべて対象たりえ、それらを多様なあり方で捉えられる広い概念であることが明らかとなった。

ここに至り筆者が感じた違和感の正体は明らである。即ち、"environment"という表現は広い概念を含む一方、 同研究部にて研究対象としている環境は水域若しくは水域周辺の生物環境や水質環境に限られ、 一般的用法における環境の示す概念に比べると狭い部分に過ぎない実態に違和感を覚えたように思われる。 ここに組織名と研究実態との関係に不整合があるとも考えられるが、環境という表現の自在さがかかる表現を許した所以と考える。 即ち、この言葉を使用する際にはその意味を厳密に規定することなく使用する傾向があり、単に環境としたときにはその文脈により異なる内容を示すことができる。 例えば我々は個人や社会を取り巻く問題などについてその時々の状況に合わせて環境という表現を用いる如くである。 そのように考えるならば、環境と水工とを並列に置いたのは、河川、 港湾と沿岸域等に関する工学とそれらを取り巻く生態・水質環境をテーマとして研究を実施するという関連性で命名された必然性も理解できる。

環境という表現が広範な概念を包含しかつ文脈によりその指し示す概念を変えられることについて縷々述べてきたが、これまでは現状分析的に環境水工部の状況を捉えることに終始した。 しかし、時代を表しかつ奥行きを有する環境という組織名を頂いているので、これよりその柔軟なる袋を満たすべき環境水工部の姿について考える。 環境水工部は河川と港湾並びに沿岸域を研究対象としているが、ここでは 河川に焦点を当てて考える。 河川行政において対象とする河川機能は基本法たる河川法にて規定されるが、明治時代の1896年に同法が初めて制定された際には河川管理の目的は治水のみであった。 時代が下り終戦後の1964年の法改正により新たに利水が河川管理の対象となり、高度成長期を経た後の1997年に至り河川環境が行政目的に加えられた。 時代を経るに従って河川管理への社会的要求が多様化し、それに伴って行政上対象とする河川機能が拡大する経過が見られる。 時代の変化に従い多様な側面を映すと言えば環境という表現の得意技であり、本件に関し、環境という切り口で見直してみよう。

治水は自然災害である洪水から国民の生命財産を守り、また産業基盤たる土地の治水安全性の向上を目的とする。 換言するならば、洪水という自然災害に対して国民の生活環境と経済活動環境が安全に保たれるよう、河川改修等の管理を行うことが行政目標として掲げられている。 また、利水に関しては河川を流れる水を公水と考え、国民が近代的かつ衛生的な生活を営む上で必須となる水及び農業や工業など経済活動を継続する上で必要となる水使用において、 社会的公正が保たれるよう調整することが目的である。換言するならば、増大する水需要と予測不 能な河川流量との狭間にあって、 水利用という観点から国民の生活環境と経済活動環境の向上に資するよう、流況調整や水利用の調整を行うものである。 更に、河川環境に関しては河川の持つ空間の活用及び人間と川との歴史的関わりの再生、更には水域及び水域と陸域との遷移領域における生態系の保全などをその目的としている。 前二者は人間の生活環境の維持向上に目的があり、後者は人間にとって安全な環境やより良い環境を達成する過程において影響を受ける自然環境に対する配慮である。 後者における環境を考える場合にその主体を何とすべきかについて、設計思想にも関わる議論のあるところであるがここでは触れない3)。 しかし、考え方に違いはあるにしても、これらは国民の生活環境と生存環境の改善・維持として括ることができよう。 以上より、河川法に掲げられた目的を環境という切り口で見るとき、国民の生活環境、生産環境や生存環境における安全確保、 質的向上や継続・維持として同じ土俵の上で対比可能であることが確認できた。そこで、改めて環境水工部の組織名称を読み直すならば、 国民を取り巻く諸環境に関する維持、向上、持続の達成を目標として、その上で必要になる水工学的研究を実施する部と見ることもできるものと考える。

結論として筆者は"River and Port Division"を組織名称として採用した。 理由は一般的名詞である"River"と"Port"とは元々自然物を指しており、従って両名詞はその自然的な機能はもちろんのこと、人間との関わりをも含む包括表現であると考えたからである。 そこで、名刺の日本語面が目的と手段との切り口で所掌を表現するのに対して、英語面は対象とする目的物を示すことにより所掌を表現するものであり、 両者は同一概念の異なる側面を表すのみにて、両者の間には何ら齟齬がないと考えたのである。 最終的には、日本語面における目的たる環境と手段たる工学とを真に統合する研究が進められるか否かが重要であり、 これに近づくことができるとき、両面の間におけるねじれは解消に向かうことであろう。

参考文献
1) 語誌Ⅰ、講座日本語の語彙第9巻、佐藤喜代治編、明治書院刊;ほか
2) 環境教育辞典、東京学芸大学野外教育実習施設編、東京堂出版
3) 環境思想を学ぶ人のために、加茂直樹、谷本光男編、世界思想社;ほか

北海道開発土木研究所月報2000年4月号
「ねじれた名刺」 by石田享平 より転載