しなやかな視線


これまで自分の目で見、耳で聞き、実際に体験したことどもに、直接体験であるという理由で絶対的な信頼をおいてきた。 また、五感で感知覚することを生得の能力として、特別の技術を要するなどと考えることは希であった。 しかし、網膜に映る像をそれらしく脳で感じることと、そこにあるものの本質を認識することが同じではないのかもしれないとの不安も幾度か経験した。 前職のダム管理事務所時代、融雪や大小の出水で貯水池に漂着する流木を市民に還元する企画の折り、印象深い体験をした。

流木は貯水池内で腐り分解すると水質に悪影響を及ぼす。そこで、毎年これらを集め焼却処分していたが、市民還元はその有効活用の試行であった。 流木は大きさが不揃いな上、若木から老木までが混在し、臭気さえ漂う。しかし、その多様性こそが人々を惹きつけ、それらの持つ価値を解る人々が集うとの助言がきっかけだった。 流木は参加者が各々の好みにより選び、持ち帰る方法を採った。そこで、参加者が我先に流木の山を駆け回ることが想定され、安全管理のため参加者の振る舞いを注意深く追った。 参加者の行動は機敏であったが、注意深くまた争いや無謀さと対極にあった。また、早い回の参加者ほど選択の幅が広く、後になるほど残り物しか獲られないのも現実的限界であった。 しかし、朝一番の参加者でゴミばかりと苦情を寄せる人もいれば、午後の参加者で見事なオブジェ作品の写真を送る人もいた。 この企画は目利きと、腕利きの勝負という側面もあり、運営者が心配する以上に参加者はしたたかで、力量に応じて流木を活用していた。 そして、管理上厄介物でしかない流木が、床の間の置物、ガーデニングの構成要素、生け花の花材、手芸の小物、夏休みの 自由研究の材料、芸術的創作の素材など、 想像を超える価値を持つことを知らされた。

この企画で多くの印象的な場面に遭遇したが、今もまざまざと思い出されるのはある老人の姿である。彼は流木の上をゆっくりと巡っていたが、遂に腐りかけた太い枝を拾い上げた。 それは空隙やひび割れが多いため乾燥状態が悪く、ひときわみすぼらしい姿をしていた。老人は矯めつ眇めつ見続けたが、どんな方向から見ても貧相に映った。 それでも、老人はそれを斜めにしたり、裏返したり、また陽にかざしたり影を塩梅したりし続けた。しばしの後、彼がその手を止めた瞬間、思わずあっと声が漏らした。 それはゴミと呼ぶには余りにも存在感のある別ものであった。

最近読んだ小林秀雄の文1)からその老人の姿がにわかに蘇った。『すみれの花を、黙って一分間眺めてみよう。諸君は、どれほどたくさんのものが見えてくるかに驚くでしょう.....。 何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。』 そこに何があるのかを知るためには予断を持たず、心を開き、真摯に対象と向き合うことが必要なのである。 しかるに、筆者は流木を見て流木と『思う』どころか、ろくに見もしないで「薄汚い」とか「腐りかけ」などの形容詞付きで『思って』いた。対象に向き合うことなく、 はなから邪魔物と目を塞いでいたのである。見て見ぬ振りならまだしも、見ずして見たと思い込むものの網膜は何を映していたのであろうか。 その愚考は自分の目で見、実感したと 思い込む妄信であるだけに、たちの悪い決めつけを伴う。老人が採った行動はそんな愚か者への鮮烈な印象として今も深く心に刻まれている。

筆者はCivil Engineeringという専門を通じて、四半世紀にわたり北海道の土地、地域社会、文化、人々と関わってきた。そんな折、手垢にまみれた形容詞やコピーを用いなかったか。 他者を説得するための方便としてそれらを使うことに故なしとしないが、そんな言葉を使う過程で対峙すべき対象から目をそらさなかったと断言する自信はない。 対象を見続けるにはそれにふさわしい自己と眼力の鍛錬が必要である。社会資本の整備状況は高度成長期を経て大きく変化し、時代の要求は量的充足から質的満足へと移行しつつある。 我々は対象を見つめられる目を磨き、北海道をしなやかに見られる技術の体得が求められている。

1) 美を求める心:小林秀雄、小林秀雄全作品21、新潮社、pp243-253

北海道開発土木研究所月報 2005年 7月号
「しなやかな視線」 by石田享平 より転載