言葉の蒸留
「老人」を「高齢者」と言い換えたのは厚生省であったと、聖路加国際病院の日野原重明理事長が紹介されております1)。
「老人」という言葉に否定的な響きが大きくなった状況を踏まえ、ニュートラルな表現と考えられた「高齢者」を導入したのではと想像します。
しかし、この表現が導入されるとき、老人という表現からどのような意味を抽出しようと意図したのでしょうか。
想像の域は出ないものの、齢の高くなることと肉体的等の衰えとを分離して考え、「高齢者」は文字通り前者の意味のみであると考えたのではないでしょうか。
しかし、日野原氏は同じインタビューのなかで、「『高齢』というのは『年を重ねた』という意味しかない殺風景な言葉です」とも述べられています。
まさに氏の指摘通りで、「老人」という表現が持ち合わせていた精神的な成熟など肯定的な意味がすっぽりと抜け落ちてしまった表現のように感じます。
2001年8月11日にテレビで放映された「スクープ21」の「コンビニのカップメン戦争全内幕」という番組を見たときも、「老い」への光の当て方について少々考えさせられました。
北海道池田町の小さな製麺会社が、大手企業に互してカップ麺の販路拡大に成功しているという内容の番組でした。
成功の原動力はスープの味と麺の食感であり、スープの味については社長である新津翁が名店といわれるラーメン屋に通い、自らの舌で感じた味を再現するのだそうです。
齢70才を超えた老人が自らの経験と、味覚だけを頼りに、即席の材料を用いて専門店の店主を納得させるスープに仕上げるのだそうです。
他方、麺については、低温下にて乾燥させる方法が麺の味や食感の再現に有効である由でした。
そして、この乾燥技術の知恵は社長の亡くなられたお母様から伝えられた信州地方の知恵であるとの紹介がなされました。
カップ麺において基本的な構成要素であるスープと麺の両方について、新津老人の経験と知恵とがキーポイントであることには疑いはありません。
ところが、アンカーマンである鳥越俊太郎氏は最後に、「新津さん、本当にいつまでもお若いですね」と締めくくったことに衝撃を受けたのです。
鳥越氏がなぜ「若い」という表現を採られたのかを分からぬではありませんが、「さすが新津老人ですね」とする方が番組全体の流れに沿う表現だったのではないかと感じたのです。
「若」にしろ「老」にしろ、肯定性と否定性の両面を持った言葉です。ところが、昨今では前者の肯定的側面と後者の否定的側面ばかりが強調されているように感じます。
冒頭の例に限らず言葉が人に与える否定的な印象を和らげるため、人やものの呼称を変える例が見られ、それらは一時的には成功しているように思われます。
しかし、その人やものの実体が変わらない限り、新たな言葉が再び否定的な色を帯びることは時間の問題でしかありません。
「便所」を示す異なる表現を誰もが即座に五個以上思いつくことからも分かるでしょう。
そこで、高齢者問題に関しても老人を大切にしようなどと声高に叫ぶよりはむしろ、知恵とか成熟といった齢を重ねることの肯定的な側面について、
それにふさわしい評価で認めることの方がより有効なのではないでしょうか。
先のテレビ番組などは、「老い」の肯定性を再確認させられる絶好のチャンスであったように思われ、本当に残念に感じたものです。
参考資料
1) Mainichi Interactiveインタビュー:http://www.mainichi.co.jp/eye/interview/200108/30-1.html
1) Mainichi Interactiveインタビュー:http://www.mainichi.co.jp/eye/interview/200108/30-1.html
北海道開発土木研究所月報2002年3月号
「言葉の蒸留」 by石田享平 より転載
「言葉の蒸留」 by石田享平 より転載