名刺にユニバーサル・デザイン


1.はじめに
ユニバーサル・デザイン(以下UDと記す)は定型的な形式を持たず、設計過程において設計者が自らの認識、価値観、意図に基づき創意をこらすことを求める設計理念である。 また、それは特別な場合にのみ適用する方法でなく、日々の実践が思考回路の鍛錬に重要である。ここに、筆者が名刺にUD的な発想を採り入れた事例を通じてUDの一側面について紹介する。
筆者はごく普通の名刺に、後で点字を打ち込んで使用している。それは自己紹介する際に使う道具であることから、自らの主たる研究テーマであり、 またライフワークでもあるUDに対する取り組み姿勢を表明しようとする意図である。この名刺を視覚障害のある方に渡したことはないが、これを使用することに手応えを感じている。 なぜなら、これまで渡した方々はひとりとして点字を読めないにもかかわらず、名刺に期待する本来的機能の発現に点字が有効に働いていると感じるからである。 モノや環境が持つ障壁を緩和若しくは除去する方策を通じて、それらのもつ本来的な機能や価値を高める取り組みはUDにおける重要課題である。 筆者がUDにおける「価値の綜合1)」と表現する課題である。本文では点字を打ち込んだ名刺を例として、UDにおける「価値の綜合」の意味とバリアフリー(以下BFと記す)との違いを説明し、 UDの一端を紹介する。

2.UDにおける価値の綜合
多くの専門家がUDとはどのような設計理念であるかについて様々な表現で紹介している。それらの一つひとつがUDを特徴付けるある一面を表現するのに成功する一方、 同程度に重要と考えられる他面に光が届かないとの感を持つことが多い。UDという新たな設計理念が発展途上にあるからばかりでなく、その適用範囲がモノから環境までと広く、 また融通無碍な性格が分かり難さを招いているように思う。筆者の表現もまた同じ問題を抱えることが、 環境設計にUDを展開する際「利用の統合」と「価値の綜合」というキーワードで表現している1)。「利用の統合」はUDとBFとで取り組み方法に違いはあるものの、 設計の目的として種々の利用障壁の除去を目指す点で一致している。UDとBFとによって設計されたモノや環境がしばしば 似た形態となる原因がここにある。 しかし、障壁の除去努力はBFにあって必要十分条件たり得ても、UD的な取り組みでは必要条件の一部を満たすに過ぎない。BFはUDが重視する共用性への視点が乏しい点に重大な差がある。 更に、UDは十分条件として「価値の綜合」への取り組みが欠かせないというのが筆者の解釈である。 「価値の綜合」はしばしば対立的な関係となる設計対象の持つ多様な価値と共用性とを綜合してより高次の価値創出を目指す考え方である。
最近、モノのUDに成功事例が数多く認められるようになり、UDがビジネスとして成立するばかりでなく、有力な販売戦略となることを実証している2)。 ただし、モノのUD化の成功例が 美的調和が際だった結果、審美性だけが突出して共用性の追求が見あたらない自称UDもあるように思う。 本文では共用性向上のため名刺に点字表現を入れる際、他の本来的機能を 増大させるべく如何なる検討過程を経たのかについて紹介する。

3.名刺に期待される機能
名刺は色々な場面で多様な使われ方をするが、最も基本的な使用法は初対面の人々の間で交換し合うことである。交換される名刺の利用機会は二つに大別できる。 第一は名刺交換時において面識のない者同士が相互に相手を確認する道具で、第二は後日相手の名前や連絡先を見出すための情報として利用する。
第一の場面において重要なことは、先ず自分の氏名、所属、地位、相手との関連性等についての情報が正確に伝えられることである。 この段階で名刺が所期の使命を果たすには、名刺が渡される相手にとって認識可能な表現、内容と形態をとることが一義で、自らを良い意味で印象付ける助けとなるならなお望ましい。 会見を通じて自らの所属機関における代表性、機関の 機能もしくは提供できるサービスの内容を伝え、自分自身もしくは所属機関の存在と有用性を認識させることが核心である。 会談の最中、名刺は備忘メモ程度の役割しかない。会見を通じて相手に何らかの印象を残せたとしたら、名刺は自分、所属機関もしくはそのサービスについて相手の記憶に固定し、 情報として残す補助ツールとして将来活躍の場が与えられるかもしれない。ただし、会見自体が不成功であった場合には、どんな名刺も無効であることは当然である。
第二の場面において重要なことは、捜し出そうとする人間と名刺とが意識上で結びつくこと及び、その情報(名刺)への到達が容易であることである。 会見当日に相互にその存在を認め合う場合もあろうが、名刺が活躍するのはむしろ後日会見相手が有用性を認める場合であろう。 自らの存在を確実に伝えたいと願う相手ほど他者からのアプローチが多く、売り込み側の人々が一度限りの会見で印象を残すことは至難の業である。 そこで、大多数の人々が相手に自分または所属機関の情報を残す一縷の望みとなるのが名刺となる。後日、ふと頭をよぎった面会相手の 名前や所属機関があやふやなことは多く、 不確かな記憶の底から自分の名前にたどり着いてもらうことは相手の意識中の作用である。その際、おぼろげな記憶を確かな情報へと導く役割を名刺が果たせるとしたら、 その名刺は強力な営業ツールとなる。また、人物と名前を思い出せたとしても、膨大な名刺の束の中から目的とする名刺を見出すのに難儀する場合も多い。 名刺がファイル内にあるにせよ、箱の中にあるにせよ、名刺をめくる最中に偶然目にした同業他社に気持ちが移ることもよくある。 同じ大きさ、似た材質の名刺の中から迅速、確実に見出してもらえることは名刺の重要な性能である。
名刺は所詮名刺でしかなく、実質はそれを渡す本人とその所属機関にしかない。しかし、それを操るものが人間である限り、人間的な部分への名刺の効用には無視できない重要性がある。 そこで、名刺に期待される機能が過不足なく発揮できることが望まれる。

4.名刺に点字を入れた効果
点字を入れたことが名刺に求められる機能との関わりでどのように働いたのか、またどのような効用を期待したのかについて述べる。
第一の利用場面である面会時に求められる要素の内認識に係る部分については、通常の名刺が晴眼者専用であるのに対して、点字情報を加えることで認識できる人々の範囲拡大ができた。 勿論、晴眼者の大部分は判読不能であり、視覚障害者の方々で点字を読まない人々もいる。しかし、一定の情報を規則に従って織り込んでさえおけば、 それを必要とする人が必要とするとき取り出す可能性を残せる。これがUDにおける共用化への道筋となる。次に、相手に自らの印象を強める効果に関しては、 点字入り名刺が希な現状において自己アピールの小道具として有効性を実感する。晴眼者に対して点字入り名刺を渡すことに手応えを感じるとした理由のひとつはこれである。 更に、当初から期待していた右効果に加え、想定外の効用のあることに気付いた。初対面の人と名刺交換すると、多くが点字に興味を示し、これが会話の糸口となることである。 日本人はもとより、外国からのお客様も含め点字での表記に目をとめる人が多く、少なからず会話の きっかけとなった。 初対面の者同士にあっては共通の話題を見出すまでが気詰まりとなる場面があるが、天候の話題ばかりではいかにも気が利かないケースもある。 そのような折 名刺が先方と当方の双方にとって会話を弾ませる小道具になりうることが第二の効用である。
第二の利用場面である後日利用に関しては、利用のタイミングが相手の都合次第となる。その時点で相手が持つ印象の濃淡は会見時における先方の興味の方向と程度、 また会見後の時間経過により違いがでる。その手の届かない個人記憶とカード情報との間を結びつける仕掛けとして、点字にタグ的効果を期待できると考えた。 即ち、我々の記憶は単一情報であるときは 同種の情報に紛れ易いが、異種の情報と結合して記憶される場合に識別が容易になることがある注1)。 名刺に点字を打ち込むことを通じて、相手の記憶にタグを付けようとの設計意図である。次に、ものとしての名刺検索に際しても、点字が物理的なタグとして機能することが期待できる。 名刺がホルダーにファイルしてあれば点字は特徴的な表現方法なので見つけ易い。また、何百枚もの名刺が箱などに保管されるとしても、縁をそろえて束にするとき、 点字の作り出す不規則な厚みは一目瞭然である。第二の場面においても、点字を入れることが名刺として求められる本来的な働きを高める。
以上は点字を打ち込んだことによりもたらされた、または期待される効果である。この効果は名刺の渡し手と受け手の両者、また視覚障害があるとなしに関わらず多くの人々に有効である。 このな働きが障害者のためでなく、UDにいう「誰もが」使えるようにする取り組みである。また、名刺に点字表現を盛り込むことにより、 それがない場合にも増して名刺としての本来的価値を高める右取り組みが「価値の綜合」である。

5.UD的な価値の綜合
価値の綜合はUD化の方策が他の価値を侵害することに対する配慮も同時に要求する。かかる観点から二つの切り口で検証を行った。 ひとつは点字を入れることが過剰な表現とならないかであり、もう一つは点字を配置することによる紙面における情報と空間とのバランスの問題であった。 4章で述べた点字の効果を別に表現すると、名刺の差別化、個性化である。そのような取り組みは珍しくなく、名刺の角を取る、着色する、 変わった材料を使うなどの名刺基板に手を加える方法、また社章を印刷する、顔写真を付ける、多色刷りにするなど印刷内容に工夫を凝らす方法などがある。 しかし、第一印象の形成は姿かたちや立ち居振る舞いばかりでなく、名刺も重要な役割を果たすことがある。ただ目立つだけの「個性的」な名刺は肯定的な印象を与えるとは限らず、 むしろ品性や趣味を疑わせる例さえある。名刺への点字の付加は本来的な機能充実を通じての差別化であり無理のない方法である点において過剰な表現と感じさせる恐れは少ない。
筆者が点字を打ち始めた当初の名刺が写真-1である。感じ方は人それぞれと思われるが、実のところ筆者はこの名刺に対して違和感を覚えた。 その理由は名刺の小さな紙面に残された空白に点字が打たれた構成に、息苦しさを覚えたことにある。即ち、意図して配置した空白部分に点字を入れたところ、 美的調和を崩していると感じたのである。文字の印刷部分に点字を重ねて空白部分を維持する方法もあるが、視覚障害者が読めても晴眼者にとって印刷の字が読みづらくなる。 それではUDの趣旨に反すると考え、名刺の空白部分に点字情報を配置したのであった。この名刺は共用性の向上をもたらす反面、美的調和への侵害傾向が認められ、 UDの観点から後者への対応が必要と考えた。
業務用名刺は定型様式から選択することとなっているので、それとは別に個人用の名刺を作ることで右課題への対応を考えた。個人用名刺を作るに当たって、 点字を入れることを前提とし、印刷文字を含む全体のバランスが保たれる構成注2)を目指した。先ず、名刺に盛り込む点字情報は、スペースの制約から名前と電話番号とに限定することとした。 次に、印刷文字の表記方法は点字が横書きである関係上、横書きとした。相手により名刺の向きを変えることがUD的な利用に反すると考えたからである。 更に、用紙の向きは横長に使うと写真-1と同様に空白部分を残すことが困難になると考え、縦長の用紙に横書きする構成とした。 その構成では電話番号を市外局番から入れると二行にわたり、紙面でのバランスを損なうことが分かった。他方、市内局番からにすると丁度幅に収まる上、 筆者の姓名の文字数とも一致し、全体のバランスが得られるのでこれを採用した。このような条件を勘案しながら最終的にたどり着いた名刺を 写真-2に示す。 点字による表現を印刷の名前と連絡先との間に収まるように配置し、所属と名前との間に空白を残すことでバランスさせることを狙った。UD的な要件は概ね満たせたと考える。


6.名刺への点字挿入のお誘い 筆者が点字入り名刺に初めて出会ったのは、北海点字図書館の後藤健市氏と知己を得た折であった。初対面で名刺交換を行うと、同氏の名刺には点字が打たれており、 氏名と電話番号が記されているとのことであった。この名刺は後藤氏が点字図書館を運営されている事実と結びつき、名刺と共に鮮明な印象として残った。 このケースは点字と同氏の職業とが直接結びつく特殊な事例である。しかし、点字を名刺に打ち込んだことは後藤氏のひととなりの重要な部分と一致しており、 かつ一般的な名刺のみでは感じられない印象を残す効果を発揮したことも事実であった。
同氏は名刺に自らの手で情報を打ち込んでいる由で、点字プレート(写真-3)3)を使うと誰もが簡単に点字を打てるとのことであった。 また、その道具は同氏の考案になり、「名刺に点字を入れる」という小さな福祉運動を展開されているとのことであった。そこで、点字プレートを分けていただき、 自らが使用する名刺に打ち込んだことが名刺のUD化への端緒となった。点字プレートは安価であるばかりでなく、初めての人も簡単に使える道具である。 関心のある方は参考資料に記したホームページをご参照願いたい3)。


図-3 点字プレートと打ち込み用ピン

7.おわりに
5章において名刺上の情報と空白との取り合いについて私感を基に、UD的な取り組み方法を展開させた。この発端となる問題意識は筆者の個人的な趣味に属しており、 形容詞としてのユニバーサルとは相反する考え方のようにも思える。この一見矛盾する概念の共存こそがUDを実践展開する醍醐味であり、 設計者の力量を問われるところであるというのが筆者のUD解釈である。ただし、このことは筆者の作った名刺がUDとして優れたデザインであることを意味せず、 無数にある表現方法のひとつにすぎない。本事例を踏み台にして共用性を重視した名刺制作に挑戦されることを期待する。

参考資料
1) ユニバーサル・デザインの原則:石田享平、北海道開発土木研究所月報、2001年4月
2) 例えば、米国OXO社の台所用品good gripシリーズなど:http://www.p4online.com/p4online/
3) 「名刺に点字を入れる」という小さな福祉運動と点字プレートに関する情報:http://www.hokuten.com/frame.htm


注記
注1) 例えば、誰かを訪ねた日を思い出そうとして思い出せないとき、その日が特に暑い日であったとか、交通機関が異常に混雑したとかの別の情報と結びついたとき、 鮮明な記憶としてよみがえる経験は誰しもあると思う。同様に、ある情報をもたらした人々の中で、印象と結びつけることで、情報の差別化が期待できる。 点字は不特定多数の記憶の中で情報に目印のタグを 付す効果が期待できると考えた。
注2) UDで設計の当初から全体構成の中にアクセシビリティに関する配慮を融合させることを求める。それは後でアクセシビリティを付加しようとすると、 美的調和や経済性に悪影響を及ぼす可能性があるからである。本件でも点字を入れることを当初から織り込んだ印刷レイアウトを考えることで、 美的調和への悪影響を避けると同時に点字を入れることの更なる効果向上をねらった。

北海道開発土木研究所月報 2005年4月号掲載