誰もがとは誰がか


「東海道などはヨーロッパで最も素晴らしい道と比肩する」とは幕末に来日した外交官の言葉だそうです。 これは富山和子さんが「道は生きている1)」の中で紹介された文章ですが、奈良期よりその当時までに徐々に整備された街道の姿について、同書で次のように記しております。 街道の道端には並木が植えられ、それらは旅人に緑陰を、雨宿りの場をそして夜には 寝る場を提供しました。 また、並木の他にも街道沿いには一里塚が設けられ、石積みで囲んだ水飲み場の井戸も設けられた由です。 更に、街道の所々に駅がおかれ、旅籠もたつようになり、街道として必要な機能が充実していきました。 もちろん街道を整備するに当たり朝廷や幕府には日本全土を統治するという目的があったわけですが、 ここに描かれた街道の姿にはこれを利用する主体である人間と街道との関わりが生き生きと浮き出ております。 しかし、一世紀以上を経て道に望むとき、利用主体が人間から自動車へと変わったと感じます。 ただ、平成5年に 始められた「道の駅」整備により、道路の利用主体が自動車から人間の側に重心を戻す分岐点となる可能性を期待します。

筆者は脊髄損傷により種々の医学的な機能障害を抱えており、移動制約ばかりではなく生理的にも種々の制約を抱えております。 ところで、炭坑などにおけるカナリアがそうであるように、その環境に対して脆弱なるものがその問題を最も鋭敏に感知できます。 そこで、筆者は人間の活動環境について高い感度を持つ部類の人間に属すると考えます。受傷後に道内をドライブした経験から、 車いすで使用できるトイレのネットワーク化が車いす使用者に対する道路交通サービスとして重要なことを述べました2)。 しかし、ドライブ途上における排泄や休息はすべての人に とって必須なサービスです。長時間にわたり狭い空間にこもることを前提とするドライブにおいて、排泄は欠かせない要件です。 これを明確に認識させられたのは、1995年に「北海道トイレマップ3)」なる案内本がヒットしたとの報道に接した折でした。 同案内書は幹線道路沿いにある公衆トイレの位置を示すと共に、その清潔度等を詳細に紹介しました。 同記事によると家族連れや女性連れの長距離ドライブではこれが必携であるばかりでなく、清潔なトイレの有無が旅程に影響するとのことでした。 この本が売れた背景には、一般家庭における水洗トイレの普及があり、道民の衛生観念の向上は外出時もより清潔なトイレをとの要望を高めたものと思われます。 そのような要求の高まりから道の駅を含め公衆トイレの水洗化が進行しつつあります。しかし、その整備密度は低く、巧くルートを選択すると快適なドライブが楽しめるが、 行き当たりばったりでは不快な思いを受認しなければ なりません。これが当該図書が多くの読者を獲得した所以であり、 またここに道路を利用する人々の交通サービスへの要求の変化が読めると思います。

自動車で長距離を移動する人々にとって休息や排泄のできる場所、車を止めて食事のできる処や交通情報を得られる施設等が必要なことは上の例を引くまでもありません。 しかし、モータリゼーションが拡大するさなかでは、自動車が安全かつ円滑に走行できる環境に対する要望を優先しました。 他方、車で移動する人間へのサービスの要求が高まったのは平成に入って以降のように思います。 それ以前は幹線道路沿いで快適に用便可能な場所、おいしい食事にありつけるドライブインや気兼ねなく休める休憩所などは限られており、 かかる情報はその路線を繰り返し利用する職業運転手達の専有物でした。そして、旅慣れてはいるがその路線に不案内な運転者などは、 職業運転手の利用するドライブインなどに目星をつけて利用する程度が関の山で、誰もが快適なサービスを受けられる環境にありませんでした。 これに対して、衛生的なトイレ、安心して休息できる場所が誰にでも容易に入手できる施設として道の駅が登場し、上質な道路サービスを受けられる利用者は劇的に拡大しました。 そして、このサービスを個別の施設にとどめることなく、道路サービスとして広く提供する好機と考えます。

ところで、公共サービスとしてかかるサービスを行うのであれば、利用者が必要なタイミングで適切にサービスを提供すことが重要な要件となります。 即ち、路線沿いの任意の地点で質や量が不ぞろいなサービスを気まぐれに提供するのでは公共サービスとして不適切と思われます。 別の言い方をするならば、道路利用者の意思とは関わりなく襲う疲労や空腹、排泄などの生理的欲求に対して、利用者が何処にいてもある水準のサービスを提供することが望まれます。 そのようなシステムの構築には施設配置の検討が必要で、その一例として拙文2)では車いす対応トイレのネットワーク化を提案しました。

ネットワーク化の設計には「誰もが」とはどのような利用者を想定するのかを精査することが重要で、それなしには適切なシステムの構築は不可能です。 そこで、家族連れのドライブを 想定すると、老人は頻尿傾向のある人がおり、子供は突発的かつ緊急的な尿意を訴えることもあります。 また、グループ旅行では飲酒にともなう頻尿も考えられ、環境設計における対象者には老人、子供、ビール党、車いす使用者などが挙げられます。 更に、道路サービスの特徴的な性格として休憩場所や情報提供を利用する人々は、利用施設まで到達する必要があります。 一方、職業運転手でない大多数の人々が長距離を運転する際、走行中の地理に不案内な区間が多くなります。 不案内な土地で交通量の多い道路を運転しつつ、特定の施設を探す行為は運転者にストレスを伴うと同時に事故の危険を増大させます。 そこで、土地に不案内な人という身体機能と関わりのない括りが考えられ、それらの人々に対する適切な誘導のための環境設計が 検討課題となります。 また、運転技術が未熟で自動車の操作で目いっぱいな人、生来方向音痴な人や長距離運転で疲れ気味で注意力が低下している人なども同様です。 設計対象者について利用限界を見極め、その中で最も厳しい条件にあるグループの必要条件を環境の設計使用を採用すれば、「誰もが」容易に使用できる環境が造られるでしょう。

ユニバーサル・デザイン(以下U.D.と記す)は、「すべての人に分け隔てのない環境創出」を目指すといいながら、実際には車いす使用者と視覚障害者対応の環境設計が多いようです。 これではU.D.は障害を持つ人々のための設計法と勘違いされかねませんし、またそのような誤解に基づく取り組みもあります。 スロープ、障害者用トイレと自動扉の3点セットを備えた、自称U.D.施設がその典型例です。 しかし、本事例では設計限界を与える人々として、女性、老人、子供、ビール党、車いす使用者が候補として考えられました。 また、異なる視点から、その土地に不案内な人々他も考えられます。その環境で活動が想定される人々の中で、最も厳しい制約条件の人々に対応する設計条件を採用すること、 そしてそのような方法を通じて社会構成員の誰もが利用しやすい環境を作ることが U.D.の目的です。

本シリーズは今回をもって一区切りといたしますが、これらの文章をまとめるに当たり友人である高尾広通氏と古松正博氏から貴重な情報、 助言と励ましをいただきましたことを記し、謝意とします。

参考資料
1) 道は生きている:富山和子、講談社
2) 車いす対応トイレのネットワーク形成に関する研究:石田享平、第55回土木学会北海道支部論文報告集、1999年2月
3) 北海道トイレマップ372:(有)ザ・パーティ

北海道開発土木研究所月報2001年11月掲載
2005年11月一部加筆修正