ユニバーサルデザインの概念
はじめに
今回は米国ニューヨーク州立大学バッファロー建築設計校のE.Steinfeld教授が1994年6月にリオデジャネイロで行った講演内容を 紹介することで解説に代える。同教授はユニバーサル・デザイン(以下U.D.と記す)を用いることによって創出しようとする環境について、 この講演の中でその心とかたちについて熱く語られている。本文は上記大学のCenter for Inclusive Design & Environmental Accessの ホームページにフリー・ペーパーとして掲載されているものである1)。筆者がこれまで入手したU.D.にかかる紹介の中でこれが最も分かり易く 説明していると感じている。そこで、月報での引用と訳文での紹介にお許しを請うたところ、快諾いただいた。ここに心より感謝の意を表したい。 U.D.は製品と環境という性格の異なる対象を同時に扱っているため、説明の意図が分かりづらい例もある。しかし、同教授の専門が建築であることから 土木的な環境を考える者にとっては比較的わかり易い内容となったように思う。なお、本文ではアクセシブル・デザイン(以下A.D.と記す)もしくは アクセシブルというカタカナ表現をたびたび用いているが、筆者がこれを置き換えるべき適当な日本語を見いだせなかったので音で表現することとした。 これらの表現が用いられる文脈を考え、この用語の意味についておのおの内なる辞書を膨らませつつ、語彙を構築するような読み方をしていただきたい。 なお、これをバリア・フリーと読み替えることを問題なしとはしないが、かかる読替えが内容理解の助けになるかもしれない。
今回は米国ニューヨーク州立大学バッファロー建築設計校のE.Steinfeld教授が1994年6月にリオデジャネイロで行った講演内容を 紹介することで解説に代える。同教授はユニバーサル・デザイン(以下U.D.と記す)を用いることによって創出しようとする環境について、 この講演の中でその心とかたちについて熱く語られている。本文は上記大学のCenter for Inclusive Design & Environmental Accessの ホームページにフリー・ペーパーとして掲載されているものである1)。筆者がこれまで入手したU.D.にかかる紹介の中でこれが最も分かり易く 説明していると感じている。そこで、月報での引用と訳文での紹介にお許しを請うたところ、快諾いただいた。ここに心より感謝の意を表したい。 U.D.は製品と環境という性格の異なる対象を同時に扱っているため、説明の意図が分かりづらい例もある。しかし、同教授の専門が建築であることから 土木的な環境を考える者にとっては比較的わかり易い内容となったように思う。なお、本文ではアクセシブル・デザイン(以下A.D.と記す)もしくは アクセシブルというカタカナ表現をたびたび用いているが、筆者がこれを置き換えるべき適当な日本語を見いだせなかったので音で表現することとした。 これらの表現が用いられる文脈を考え、この用語の意味についておのおの内なる辞書を膨らませつつ、語彙を構築するような読み方をしていただきたい。 なお、これをバリア・フリーと読み替えることを問題なしとはしないが、かかる読替えが内容理解の助けになるかもしれない。
The Concept of Universal Design
Dr. Ed. Steinfeld
U.D.はA.D.とは異なる設計概念です。A.D.は障害者にとってアクセスと利用の可能な製品や環境を意味しますが、U.D.は障害者を含め誰もが
アクセスと利用の可能な製品や環境を意味します。これら異なる二つの定義は単なる表現上の違いに見えますが、両者には実質的な相違があります。
A.D.は障害者専用へと向かう傾向があり、例えば玄関の階段脇に設けられた斜路や車いす用トイレがそれです。他方、U.D.では障害者はもちろん、
それ以外の人々が利用できる解決策を提供します。更に、U.D.は老若男女や利き腕の違いなど多様な人々のニーズに配慮する設計法です。
「誰もが使用できるよう(universal)」に設計される玄関には、もはや階段は必要ありません。U.D.で作られるトイレには、車いす用個室を設ける
代わりに、乳児用のおむつ交換台のような設備も備えた個室を複数設けます。トイレを男女別々に使えるようにする代わりに、「家族用」の
個室トイレを設けるかもしれません。そこでは女児や高齢の母親を連れた男性、また男児や高齢の父親を連れた女性が気まずい思いをすることなく
利用できます。このトイレは比較的重度の身体的制約を有する人々も利用できるでしょう。
ここ数年、U.D.はA.D.に代わる設計理念として関心が高まりつつあります。何故でしょうか。先進諸国においては次のような理由があります。
○ 障害を持ちながら生き長らえる人々の増加
○ 寿命の伸長
○ 障害を持つ人々の購買力の増大
○「高齢者市場」の拡大
○ 医療福祉技術の不備の判明
○ 高齢者の利用を念頭におかずに設計されてきた製品や環境の存在
合衆国におけるデータがこれらの傾向を裏付けております。1970年から1980年までの10年間に障害者人口は50%増えました。これは医療技術と 保健衛生管理との改善によりもたらされました。障害者の寿命が伸び、そして高齢者特に「老齢者」人口の増加は顕著でした。合衆国では 2030年までに全人口の5人に1人は65歳を越えると推計されました。障害者の購買力はかなりの水準に達しております。米国内36百万人の障害者は 専用の医療福祉用品購入に4百億ドルを支出したと推計されております。障害者が一般社会に統合され、職に就きそしてより多くの収入を得るにつれ、 彼らは大量流通商品の設計に影響力を持ち始めています。最も重要な社会的潮流の一つは「高齢者市場」の拡大です。米国内で自由に使うことのできる 収入が最も多いのは65歳以上の消費者です。中年層の大部分と高齢者が含まれる50歳以上の人々は8千億ドルの市場を形成しています。 この層は全米において自由に使える所得の56%を支配しております。例えば、彼らは全米における自家用車購入の60%を占め、全住宅の50%を所有しています。 このような高齢者や障害者の経済力の増進にも関わらず、現実の市場においては(これらの人々の求める機能と流通品の機能との間に)多くのずれがあります。 医療福祉用品など多くの専用品は、一般消費物品の不具合を部分的に補うような方法を採るばかりです。また、公共建築物や「改造住宅」における アクセシビリティの特性も同様の問題が指摘できます。
○ 障害を持ちながら生き長らえる人々の増加
○ 寿命の伸長
○ 障害を持つ人々の購買力の増大
○「高齢者市場」の拡大
○ 医療福祉技術の不備の判明
○ 高齢者の利用を念頭におかずに設計されてきた製品や環境の存在
合衆国におけるデータがこれらの傾向を裏付けております。1970年から1980年までの10年間に障害者人口は50%増えました。これは医療技術と 保健衛生管理との改善によりもたらされました。障害者の寿命が伸び、そして高齢者特に「老齢者」人口の増加は顕著でした。合衆国では 2030年までに全人口の5人に1人は65歳を越えると推計されました。障害者の購買力はかなりの水準に達しております。米国内36百万人の障害者は 専用の医療福祉用品購入に4百億ドルを支出したと推計されております。障害者が一般社会に統合され、職に就きそしてより多くの収入を得るにつれ、 彼らは大量流通商品の設計に影響力を持ち始めています。最も重要な社会的潮流の一つは「高齢者市場」の拡大です。米国内で自由に使うことのできる 収入が最も多いのは65歳以上の消費者です。中年層の大部分と高齢者が含まれる50歳以上の人々は8千億ドルの市場を形成しています。 この層は全米において自由に使える所得の56%を支配しております。例えば、彼らは全米における自家用車購入の60%を占め、全住宅の50%を所有しています。 このような高齢者や障害者の経済力の増進にも関わらず、現実の市場においては(これらの人々の求める機能と流通品の機能との間に)多くのずれがあります。 医療福祉用品など多くの専用品は、一般消費物品の不具合を部分的に補うような方法を採るばかりです。また、公共建築物や「改造住宅」における アクセシビリティの特性も同様の問題が指摘できます。
医療福祉用品に対する消費者の意識調査によると、人々はこれら機材の持つ医療品または障害者専用品的な外観を好ましく思っておりません。
更に、これらは価格があまりにも高く、入手困難で、信頼性が低い上に修理も困難です。恐らく最も重要な弱点は、購入者がこれら医療福祉用品を
恥ずべきものとみなす点にあります。即ち、「普通でない」製品や環境は使用者に否定的な自己意識を増幅させます。障害者の権利支援者や設計の
専門家の間ではA.D.の考え方を見直すべきとの認識にだんだん変わってきました。これまで、市場にある製品や環境はネバーランドに暮らし、
いつまでも年をとらないピーターパン達向けに設計されてきました。現時点における挑戦は、すべての製品や環境の設計に関する考え方を変えることです。
しかし、U.D.はすべての人々が世界中のすべての製品を完璧に使用可能にすることを必ずしも意味していない、と記銘することが重要です。
これから述べますように、U.D.の各原則は到達目標を指すものであり、厳密な完全性というよりはむしろ心構えを表す表現です。
発展途上国はいくつかの問題について先進国と同様の傾向があります。それらの国においても障害を持ちながら生存する人々の人口が増加し、
また国によっては平均寿命も伸びています。しかし、これらの国において医療福祉用品ははるかに高価でかつ入手困難です。一部の国々において
それは一般国民にとって手の届かないものです。これらの国は公共福祉に当てる費用を制限する必要があり、その上障害に対する恥辱意識は
先進国に比べて遙かに大きいことがあります。このような理由からU.D.はA.D.に代わるものとして大きな意義があります。なぜならU.D.で作られる製品は
医療福祉用品や特別仕様の製品などに比べて通常低価格で入手可能となるからです。発展途上国においても自立生活運動が始まり、U.D.の導入は
「普通でない」製品や環境によるくびきから逃れられるチャンスとなります。
U.D.は経済発展の好機ともなります。誰もが使いやすい製品の創造と生産は、国際市場において競争力を高めます。更に、誰もが使える社会資本、
文化施設や保養施設の整備は、観光開発に寄与すると共に一般経済福祉にも貢献できます。U.D.の理念を運用可能にするための第一歩はより広範な
人々を設計対象とすることです。A.D.はしばしば車いす使用者や視覚障害者のニーズに焦点を当てて設計しますが、U.D.ではその他の多様性についても
考慮しなければなりません。この多様性には人々持つ力の強さ、知的能力、理解力や価値観の差異が含まれます。例えば、空港ビルにあるU.D.の標識は、
現地語を話せない旅行者への対応を含むでしょう。設計対象者の範囲拡大は二つの方法により達成できます。第一に個々の設計は使用説明や技量の要求から
解放しなければなりません。例えばドアの取手に色々な種類の握りを使うことで、より操作しやすく設計すべきです。第二に製品や環境は広範な能力の
人に合うように設計すべきです。例えば、浴室の壁は使用者が必要とする位置に手すりを取り付けられるように設計しなければなりません。そのようにすれば、
人々が自分にとって最も望ましい位置に手すりを取り付けられます。第一の方法を採るには建物に最初からある種の設計的配慮を必要とします。
しかし、第二の方法では個々人や家族の必要性に応じて広く合わせられます。実際にU.D.は当初A.D.より使用性が劣るかもしれませんが、
利用者に合わせられる範囲はむしろ広いでしょう。U.D.に内在する重要性は多くの人の心に訴える点にあるのです。
A.D.は医療施設的または公共施設的な外観を呈すことがあります。A.D.の採用が美観を損なうことは、利用者によるその「技術の放棄」や、
建物の所有者や設計家によるアクセシビリティに対する否定的態度を招くことがあります。U.D.が確実に受け入れられるためには、
高水準の美しさを付与しなければなりません。事実、U.D.の成功例の多くは製品や環境の使用性を機能美として表現しています。そして、
それらが使いやすいのと同程度に美しくもある、まさにその理由で成功をおさめております。当然のことながらU.D.は、障害者がアクセスで
きかつ利用可能でなければなりません。次の四つの原則がこの目標を確実に達成するのに有効でしょう。
○ 人間工学に基づき幅広い適応性を確保する
○ 肉体的負担を少なくする
○ 環境に関して明確に説明する
○ システマティックな取り組みを用いる
座位にあるのかまたは立位にあるのかを問わず、設計対象とする使用者が無理なく手の届く範囲で製品と環境を使えなければなりません。 車いす使用者や歩行支援機具使用者が利用できるように、方向を変えるための空間や環境は十分な広さが必要です。握りの寸法やその周辺空間は、 握力の弱い人や特別の握りを必要とする人の能力に合わせられるようにすべきです。
○ 人間工学に基づき幅広い適応性を確保する
○ 肉体的負担を少なくする
○ 環境に関して明確に説明する
○ システマティックな取り組みを用いる
座位にあるのかまたは立位にあるのかを問わず、設計対象とする使用者が無理なく手の届く範囲で製品と環境を使えなければなりません。 車いす使用者や歩行支援機具使用者が利用できるように、方向を変えるための空間や環境は十分な広さが必要です。握りの寸法やその周辺空間は、 握力の弱い人や特別の握りを必要とする人の能力に合わせられるようにすべきです。
我々はしばしば空間を大きく取ることで最善のアクセシビリティを達成できると考えがちです。しかし、肉体的負担を減らすことは車いすの操作に
必要な空間の確保と同程度に重要となることがよくあります。特に、高齢者には不要な肉体的負担を避けられる環境が重要です。これは空間と設備の役割を
単純化するように空間を構成したり、装置を設計したりすることで達成できます。そして、空間をやたらに大きくしないことを意味します。
むだな動作をしなくて済むように設計すべきです。両手が自由になる設備は、肉体の負担を減らすのに優れた方法です。操作器具や設備の操作は、
できる限り小さな力ですむようにすべきです。最後に、使用時に体の曲げ伸ばしを少なくて済む製品や環境を設計すべきです。
環境や製品に関する情報の読みやすさは効果的利用に決定的な要因となります。環境について明確に表示することには、操作器具の識別や空間認識のため、
色や触感のコントラストを用いることも含まれます。ものが見えやすくなるように十分に明るくすべきですが、まぶしさは最小限にとどめるべきです。
環境を分かりやすく説明することには、装置の認識と操作を単純に理解可能にすることも必要とします。これは装置の動作状況が見えるようにするなど、
利用者に手順を記憶させるのではなく万国共通の情報提供方法により達成されます。操作とその応答との関係をより分かり易くするために説明を
要しない配置に努めるべきです。情報提供に複数の媒体を用いる、例えば視覚情報と同時に音声情報を重複して提供するならば、装置の操作方法が
効果的に伝えられます。一般的に、可能な限り単純な技術を用いること、そして操作の結果が利用者に解るように応答することが望まれます。
U.D.は製品や環境をだれもが最初から利用可能に設計すべきことを必ずしも意味しません。システマティックな取り組みは環境の適応性を拡げる、
即ちあらゆる人の要求に合うよう簡単に調整できる環境を提供するのに用いられます。これを達成する道筋はたくさんあります。交換可能な構成部品は、
能力の異なる人々や装置や場所を異なった方法で利用する人々を受け入れられるように特性を変えられます。例えば、大部分のコンピュータは
トラックボール、マウス、キーボード、ジョイスティックやレーザーポインターなどの入力装置を交換して使用できます。適応性を拡大するもう一つの方法は、
後付けを可能にする利用です。例えば、手すりや腰掛けを後付け可能にしつらえた浴槽がそれです。消費者は最初にバスタブの基本ユニットを
購入することができます。その後年齢を重ねたとき、浴槽に簡単に取り付けられる部品を買い足すことができます。システム全体で美しく
統一されたデザインを導入すれば、ありきたりの手すりや腰掛けがかもし出す否定的な印象を和らげるでしょう。システム・アプローチの
もう一つの重要な要素は、大量消費物品と医療福祉用品との接点です。その好例はTDD(盲人用電話機)と一緒に使えるヘッド・セット電話の設計です。
U.D.には数多くの好例があります。製品と環境から1例ずつ具体例を説明して締めくくります。
写真1に示した包丁はもともと関節炎の患者用に開発されました。設計者は普及品の包丁に後付けの握りを設計することを避け、
製品設計を包括的に再考しました。その結果この包丁は関節炎の患者にとって使いやすいばかりではなく、他の人々とってはより一層使いやすいものと
なりました。握りは何ら説明しなくても、適正な位置を握られるように設計されています。オープン・ハンドを含めて種々の異なったタイプの握りが
包丁を持つのに選べます。取手を傾斜させたことで使用者が切断面に力を加えやすくなりました。この包丁はデザインが魅力的なことから、
市場において幅広い支持を受けました。実際、この包丁はデザイン賞を受賞し、今ではニューヨークにあるMuseum of Modern Artの所蔵品に加えられています。
図2は建築家Paul Schweickher氏が設計したピッツバーグDuquesne大学の学生会館です。設計者は必要最小限のアクセシビリティを満たすというよりはむしろ、
アクセシビリティを建築物の基本的構造の隠れた魅力として活用しています。建物の内部にエレベータがありますが、建物の両側のスロープは
非常用通路として機能しています。建物の正面玄関は巨大な張り出し構造の階段の下にあります。設計者は大きな張り出し構造を利用して
スロープの採用に特有の「動き」を建物に表現し、結果として印象的な建築デザインに造りました。建物には独特の動的な特徴を与えられました。
建物の入口を入ることは、鯨の口に入るないしは奥深い洞窟を通るようです。そのわくわくする体験は予想通りでした。Schweickher 氏は
アクセシビリティを「必要悪」とするのでなく、心おどる美的な体験の着想ないし発生装置として利用したのです。
要約しますと、U.D.はA.D.とはまさに異なる概念です。A.D.は障害者のニーズに形式的な対応を行うに過ぎない一方、
U.D.は設計の基本理念において障害者の利用を統合します。更に、アクセシビリティは製品や建物における美しさの重要な要素として
表現されさえします。A.D.は障害者が製品や環境を使用する権利を認めますが、障害者を社会へ統合するところまでは踏み込みません。
その上、A.D.は社会を変革しつつある潮流を認識しておりません。それは将来にわたりアクセシビリティの完璧かつ適切な解決策とはなり得ません。
U.D.は包括的な完全統合を推進します。しかも、U.D.は統合の象徴です。U.D.は障害者とそれ以外の人々とが同時に利用できる場を作り上げます。
U.D.は障害、加齢その他の差異を日常生活の一部として受容する概念なのです。
付記:本文は次の会議で講演したものである。
第六回アクセシビリティに関するIbero-American 会議
1994年6月19日、リオデジャネイロ自立生活センター
Copyright E. Steinfeld 1994
付記:本文は次の会議で講演したものである。
第六回アクセシビリティに関するIbero-American 会議
1994年6月19日、リオデジャネイロ自立生活センター
Copyright E. Steinfeld 1994
あとがき
本文はSteinfeld教授がインターネット上に公開している講演録を入手し、翻訳したものである。逐語訳と言うよりは意訳につとめたつもりであり、 その際訳者の理解の低さ故に誤訳、不適切な訳や行き過ぎた訳などもあると思われる。従って、前回もお願いしたことであるが、本文は筆者により バイアスのかけられた内容であると疑って読んで頂きたい。また、本翻訳文についてお気づきの点等ご指摘いただけるならば幸いである。そして、 原文の掲載されているホームページ・アドレスを参考資料に示すので、是非とも内なる辞書に照らしながら同氏の高邁な思想に触れられることを期待する。 なお、原文は講演であるため、全体を通じて1つの段落で構成されており、翻訳文で段落を区切ったのは訳者の判断によるものである。
本文はSteinfeld教授がインターネット上に公開している講演録を入手し、翻訳したものである。逐語訳と言うよりは意訳につとめたつもりであり、 その際訳者の理解の低さ故に誤訳、不適切な訳や行き過ぎた訳などもあると思われる。従って、前回もお願いしたことであるが、本文は筆者により バイアスのかけられた内容であると疑って読んで頂きたい。また、本翻訳文についてお気づきの点等ご指摘いただけるならば幸いである。そして、 原文の掲載されているホームページ・アドレスを参考資料に示すので、是非とも内なる辞書に照らしながら同氏の高邁な思想に触れられることを期待する。 なお、原文は講演であるため、全体を通じて1つの段落で構成されており、翻訳文で段落を区切ったのは訳者の判断によるものである。
参考資料
1) The Concept of Universal Design : http://www.arch.buffalo.edu/~idea/publications/ free_pubs/ pubs_cud.html
1) The Concept of Universal Design : http://www.arch.buffalo.edu/~idea/publications/ free_pubs/ pubs_cud.html
北海道開発土木研究所月報2001年3月号掲載
2005年4月一部修正加筆
2005年4月一部修正加筆