ユニバーサル・デザイン登場の背景


はじめに
ユニバーサル・デザイン(以下U.D.と記す)を紹介するのに筆者が十分な理解水準にあるか疑念を覚える。他方、ここ数年来当該表現を目にする機会が多くなり、 少なからぬ事例がこれをはやり言葉として使用しているように感じる。それらは出典からの孫引きを疑わせる表現に彩られるものが多く、筆者がいつか陥ったような 皮相的なU.D.理解へと読者を導くことを危惧する。本文では同概念に取り組む技術者がその提案者達の目指した環境創造理念に到達できるよう、提案者らが 自らの言葉で綴っている原典からその概要を紹介し、解説するものである。しかし、本文は提案者らの文章を引用する部分であってもなお、筆者の言葉に 置き換えて表現する関係上、筆者の内なる辞書による影響を免れない。筆者が参照した資料等の情報を文末に示したので、読者の皆様には本文を端緒として、 原典にて認識を深化させて頂くことをお願いしたい。

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最近バリア・フリー(以下B.F.と記す)という技術用語が我が国社会で急速に浸透し始めている。他方、類似する概念のU.D.という表現もまた 散見するようになった。昨冬に行われた北海道開発局技術研究発表会の論文集には、2論文にこの表現が引かれていた。しかし、何れの論文にもU.D.の 原則との関連について具体的な記述がなく、引用文献の表記もないことに疑問を覚えた。
筆者がこの概念を初めて目にしたのは1997年6月21日付け朝日新聞の朝刊であったが、U.D.を次のように表現していた。

ー ユニバーサル・デザイン ー
『アメリカの建築家で工業デザイナーのロン・メイスさんが提唱した。社会にバリア(障壁)があることを前提とした「引き算のデザイン」ではなく、 初めからバリアがないようにする「足し算のデザイン」をいう。テレホンカードの手元側にある小さな切り込みなどがそれである。』

具体例を紹介しつつ分かり易く説明する工夫がなされているが、正直のところその意味するところをイメージできなかった。 その後、いくつかの紹介文に触れるも、その概念が胸の内にすっきりと落ちることはなかった。そこには筆者の理解力不足や内なる辞書の 貧困問題もあるが、簡潔に表現されているにもかかわらず、明解に理解し難いというそのことが同概念の皮肉な特徴のように思われる。 このような場合には原典に立ち戻ることが常道と考え、提唱者らによる紹介をWEB上で探したところ、いくつかのサイトにたどり着いた1)。 しかし、それらの情報からU.D.の理解を少しく深められた一方、同概念の光の届く果てを知るのには相当の努力と思索との時間を要する上、 その果ては今もなお拡大し続けているとの印象を持った。かような理解水準にある筆者が本概念の案内人としてふさわしいかは疑問もあるが、 ここではU.D.の提唱者者らが用いた表現に沿いつつ概要を紹介し、それから先の理解については読者に委ねることとしたい。 U.D.の原則は基本理念、7つの原則名、その定義と30の指針および附則で構成されており、それらに関しては後の機会に紹介する2)。 今回は前段階として米国においてこの概念が登場する社会的背景について紹介する。ここで述べる内容は米国ノース・カロライナ州立大学 ユニバーサル・デザイン・センターが制作したホーム・ページ3)(以下「上記H.P.」と記す)に沿いながらその要点を紹介すると共に、 筆者の解釈により補足するものである。なお、以下の文で最初に「  」よりと標記した一連の部分は、同センターの許しを得て上記H.P.から引用した部分である。

ユニバーサル・デザイン登場の背景
U.D.という技術用語が提案されたのは最近のことである。しかし、その根底にある「万人向けの設計」という目標は、1980年代初頭に 米国の建築家の間で共有されていた4)。当時、その概念はアクセシブル・デザインと表現されていたが、それはいつしか障害者向けの配慮ばかりに 焦点が当てられるようになり、統合などの本質的かつ不可欠の概念が抜け落ちた意味として使われるようになった。そこで改めてU.D.という技術用語を 与えると同時に、それを理念、原則名と定義、指針と附則に整理して再登場させたのが「ユニバーサル・デザイン」である。この度これが米国社会に 円滑に受け入れられた理由は、提唱者らによる運動が功を奏したばかりでなく、その背景に社会的な要求の変化を見る必要があろう。その駆動力には 二つの要因があり、第一は人口構成の高齢化に伴い、種々の機能障害を有する人々が急増しつつあることに起因する。第二は心身に障害を有する 人々による差別撤廃運動であり、20世紀中頃から営々として続けられてきた運動の成果である。

「高齢化する社会」より
米国において各種機能障害を持つ人々が増えつつある状況は次の二つの要因が深く関わっている。第一に高齢者人口の増加が急速に 進行している事実である。これは市民一般における栄養条件の改善、医療技術の向上・普及や公衆衛生の普及等によりもたらされた。 米国の国勢調査に基づく推計によると、2010年までに65歳以上の高齢者は約4千万人に達するとの見通しである。第二はいわゆる障害者の増加であり、 医学の発展は従来なら致命的であった事故や病気に見舞われた人々の存命を可能にした。また、二度の世界大戦やベトナム戦争により多くの 傷痍軍人が生まれ、障害を持ちながら社会生活を送る人の数が増大している。1994年末の推計では、障害の由来を問わず2600万人もの米国人が 重度の障害を抱えていた。今後とも種々の機能障害を有する人々が増える傾向は継続するものと考えられるが、これまで米国社会において 作られてきた工業製品や活動環境はかかる人々のニーズに依拠することなく設計されてきた。その結果、それら製品や環境は多くの場面において 使用の障壁となってきたにもかかわらず、その事実さえ認識されてこなかったことも事実である。

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上記H.P.から離れるが、次回紹介する米国ニューヨーク州立大学バッファロー校のE.Steinfeld教授は、高齢者を含む機能障害を持つ人々をめぐる 新たな市場の将来性について次のように指摘している5)。これまで普及してきた製品や環境は多くが機能障害を持つ人々に不適合である。そこで、 U.D.の導入は急増する高齢者層のニーズに適合させる企画・設計を通じて、潜在化している需要を喚起する可能性がある。更に、経済統計はそれら 高齢者が可処分財産を多く所有していることを示すことから、右需要が消費に結びつく可能性は高く、ビジネスチャンスともなりうる。

「連邦政府の法律」より
米国における社会的障壁除去めぐるもう一つの流れは、障害者の権利獲得運動として進められてきた。1960年代の公民権運動の高まりは右運動を鼓舞し、 連邦政府による種々の法律の制定に影響を及ぼした。特に、活動環境のB.F.化に着目すると、世界大戦終了後の1950年代から公共政策と 設計の実践とにおける改革として始められ、1961年に米国規格協会は「肉体的ハンディキャップを持つ人々にとってアクセシブルでかつ 利用可能な建物の建造」を公表した。その後各州でアクセシビリティに関する関連法令が成立したが、それぞれ異なる基準もあり標準化の動きが 1990年代に起こっている。 1960年代以降にそれらの運動にてとり上げられた事項は障害者に対する差別の禁止、教育機会、公共施設、通信施設、輸送施設の整備などであった。 制定された主な法律とその制定年は「建築物の障壁にかかる法律(1968年)」、「リハビリテーション法(1973年)」、「障害児のための教育法(1975年)」、 「障害を持つアメリカ人法(1990年)」や「通信法(1995年)」などである。

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U.D.における統合(integration)の理念や差別的扱いの排除の思想を理解する上で、「障害を持つアメリカ人法6)(Americans with Disability Act、 略してADAとも呼ばれる)」が特に重要な法律である。従って、U.D.と真剣に取り組もうとする向きには同法の概要なりともおさらいすることを勧める。 特に、我が国における障害者行政にかかる基本法である「障害者基本法」との相違を確認しておくことが、U.D.展開における彼我の違いを理解する上で 有益である。当該法律は「障害に基づく差別を明確かつ包括的に禁止する法律」であり、その第一部では雇用、第二部では公共サービス、 第三部では民営の公共的施設およびサービス、第四部では通信に関する差別の禁止規定が盛り込まれている。環境のU.D.との関わりの強い部分は 第二部と第三部であり、法律の規制対象となる公営及び民営の施設において満たすべき諸基準について、アクセシビリティに関する指針の策定を 義務付けている。米国Access Boardは同法に基づき2004年に「施設環境設計指針7)」の改訂版を発表した。本邦における類似法であるハートビル法等と 比較すると、法律の持つ性格の違いに驚かされる。なお、右指針の内容はU.D.的な環境整備の法的根拠であると同時に整備目標を示すものである。 種々の機能障害を有する人々が一般社会で活動しやすい環境を整えるために必要となる具体策としては、従来から個別的な対応を中心とする B.F.やリハビリテーション工学による取り組みがある。他方、真に統合的な社会を実現する上では共用性を重視するU.D.的な理念が不可欠である。 上記H.P.ではU.D. の考え方については「B.F.からU.D.へ」の項目で触れられている。一方、個々人のニーズに特化するリハビリテーション工学の 役割に関しては「リハビリテーション工学と支援機器技術」の項目で触れられている。更に、製品における上記両分野の連携に関しては「分野間の連携」 の項目で触れられている。

「B.F.からU.D.へ」より
建築分野におけるアクセシビリティ向上とB.F.の推進論者達は、障害の有無にかかわらない共通するニーズに対処する概念の法的、経済的、 社会的な影響力について早くから認識していた。そして、建築家達はB.F.の具現化を計る際、障害者用に分離して整備するとそれが『障害者専用』 となり、費用が高額となり、かつ多くの場合見苦しいことに気づいた。他方、障害者を受け入れるために必要とする環境に配慮すると、 多くが健常者にとっても実体的な恩恵があることも明らかになった。そこで、誰もが使いやすい施設整備という取り組みが設計上成立し、 それらは障害者専用の特別な設備を別途に作らないので、経済性に優れ、使用者の区別がなく、魅力的で、加えて市場性を有することさえあるという認識が U.D.推進運動への基盤となった。

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右引用においてU.D.は特定の人々専用に特別の利用環境や製品を用意するのではなく、誰もが共に使えるような設計とすることの優位性が述べられている。 従来のB.F.は多くの人々が社会参加する機会を拡大することに貢献したが、その参加の方法に関しては差別的扱いの排除の考え方は希薄であった。しかし、 U.D.では設計に際し、環境や製品の利用方法に至るまで包括的統合を目指す。更に、統合設計はアクセシビリティを保障するための設計が 行われたということを意識させることなく、誰もがその環境と製品とのありようを自然に受け入れられるよう全体に融合させることが重要である。 これを実現する上ではアクセシビリティを確保するための措置は施設設計の総体に一体化することが肝要である。Ms.M.Storyはこれを設計の統合として U.D.の実践における重要課題として強調している1)。

「リハビリテーション工学と支援機器技術」より
これらの技術は第二次大戦を契機に始められ、その技術的問題に取り組むリハビリテーション・センターは1960年代と70年代に拡大された。 リハビリテーション工学は肢体不自由者、視覚障害者、聴覚障害者およびその他の機能障害を有する人々のリハビリテーション領域における科学的原理と 工学的方法論の問題に特化している。また、「支援機器」は障害者の肉体的、感覚的および認識的能力を高めるため、もしくは彼らの自立を 援助するために特別に用意する個人用器具である。

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障害者の機能障害の種類や程度、残された運動・知覚等能力は個人差が大きいため、それぞれが必要とする支援の内容と程度に差異がある。 U.D.は統合理念の具現化を目標に設計するとしても、文字通りすべての人が全く同じ条件で使える環境の整備には経済面や効率面で限界がある。 そこで、各個人の自立の程度を高められるように支援する役割を担うのが支援機器である。かかる意味においてU.D.と支援機器とは補完関係であり、 かつ相反する考え方にあるように見える。しかし、U.D.がその両極端の要求に綜合を求めることを通じて、 より高次の価値へ高めようと努めることについて次項に示す。

「分野間の連携」より
U.D.と支援機器技術とがそれぞれ異なる歴史と方向性とをたどりつつも、目標とするところは同じである。即ち、両者共に障害者と 健常者との間における肉体的および精神的な障壁緩和を通じて、統合的社会の実現を目指している。両者の違いはU.D.が広く万人を対象とした製品を 作ろうと目指すのに対して、支援機器技術が障害者の特定個人を対象とした製品開発を目指す点にある。両者の混合領域において優れた共用品が 数多く生み出されている。その好実例として太い握りのある台所用品(OXO International社製の"Good Grip" シリーズ8))が知られている。 その商業的成功から両分野の協力関係における潜在的可能性が大いに期待できるにもかかわらず、手つかずの状況にある。また、商業デザイナーは 加齢や障害にかかる人間工学の専門家から学ぶことが重要であろう。

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上の事例に関する評価について筆者は上記H.P.と異なる見方をしている。OXO製品は両者の混合領域にあることは事実としても、むしろU.D.の理念に基づく 製品開発における傑出した成功例と考えたい。即ち、"Good Grip"シリーズは、握力の弱い人用の台所用品として考案された技術を、誰もが使いやすく かつ趣味の良いデザインに作り上げた結果、多くの主婦から指示を受けた工業製品である。これは「B.F.からU.D.へ」で述べたU.D.に関する表現を引用すると、 身体的寸法や運動能力等にかかわらず「誰もが使いやすい製品設計という取り組み」を見事に実現しているからである。 「高齢化する社会」の項目において、米国社会で普及してきた製品や環境は障害を持つ人々のニーズに依拠することなく設計されてきた旨の内容を引用した。 しかし、"Good Grip"シリーズの成功例を検証するならば、従来の台所用品は主婦一般にとって使いやすい器具ではなかった可能性を伺わせる。 これより、これまでの設計が健常者向けでさえなく、壮健者向けの設計であった可能性を予感させる。そして、当該ケースでは台所用品の使用者に 比較的握力の弱い女性が多かったため、市場が鋭敏に反応したものと解釈できる。このことはU.D.「製品」の持つ意味の重要性と市場開発可能性を 再認識させる。施設環境問題に関して事例紹介すると、歩道の車道すりつけ斜路では積雪時に健常者であっても一時的移動制約者となることを 別の報告9)で述べた。そして、その勾配の見直し如何によっては、いわゆる移動制約者にとって使い易い環境が誰もが使いやすい環境となることを紹介した。 このことは「環境」においても、U.Dにより開かれるときを待っている分野のあることを示唆している。

以上が冒頭で紹介したH.P.に沿ったU.D.登場の背景に関する紹介である。上記H.P.ではこの後に経済や社会の変化と将来に関して述べられているが、 本文では割愛する。

おわりに
ある種の思想はそれが生まれ育った土壌が特定の条件を満たすことに、その存在の前提条件がある場合がある。そのようなケースではその種子を 異なる風土の社会に移植するとき、たとえその移植方法と管理方法とが適正であっても同じ花や実を付けるとは限らない。また、外来種を そのまま移植することが若しくは同じ実を実らせることが移植先の社会に望ましいかは検証を要する。U.D.はまさにそのたぐいの概念のように考える。 米国でU.D.は公民権運動に発する基本的人権の文脈で考えられるのに対して、本邦では社会福祉における弱者保護的な文脈で考える。いずれが是で、 いずれが否であるかはそれぞれの社会の成立過程や文化の違い等もあり、軽々に断ずることはできない。また、それを本邦にあった種に改良するとしても、 原種にまでさかのぼりその本質を理解することが絶対条件である。それを踏まえた上で必要な遺伝子操作を加えるのでなくては結果として方向を誤る恐れがある。 つまり、引用文や孫引き資料などに依るのでは、読者がかかる差異を判別するのに必要な手がかりが得られず、また原典に当たるにしても かかる認識なしにはメイス氏らが提唱する理念にたどり着くことは困難と思われる。そこで、読者の皆様には本文にて述べた事柄がすべて筆者により バイアスをかけられた内容であることを肝に銘じ、ゆめゆめ鵜呑みにする事のないように重ねてお願いしたい。

参考資料
1) 例えば、The Principles of Universal Design: http//www.design.ncsu.edu/cud/ univ_design/ princ_overview.htm
2) ユニバーサル・デザインの原則:石田享平、 http://river.ceri.go.jp/envcom/udabc31.html
3) What is Universal Design? History and Background: http//www.design.ncsu.edu/ cud/univ_design/udhistory.htm
4) Strategies for Teaching Universal Design: Edited by Polly Welch, Adaptive Environment Center
5) The Concept of Universal Design: http: //www. arch.buffalo.edu/~idea/publications/free_pubs/ pubs_cud.html
6) 例えば、アメリカ障害者法【全訳】【原文】、斉 藤明子訳、現代書館
7) ADA and ABA Accessibility Guidelines:http:// access-board.gov/ada-aba.htm
8) Oxo Good Grips : http://www.oxo.com/catalog
9) 60億種類の辞書:石田享平、開発土木研究所月報、No.565 2000.6、pp2-3

北海道開発土木研究所月報2001年2月号掲載
2005年4月一部加筆修正